音ゲーの「上手さ」

夜0時に書いてます、深夜のポエムみたいなもんです。箇条書きにする感じでもないのでダラダラ文章で書きます。

音ゲーが楽しい」のと「音ゲーが上手くなる」のって、相互に作用するもんだと思うんです、楽しければ上手くなるし、上手ければ楽しくなるし。音ゲーのモチベーションが高い人はこれが上手く連鎖してるし、低い人はどっちか(大体は後者)が欠けてるんですよね。大体の諺は僕は結構理にかなってるなって思うんですけど、「下手の横好き」っていう諺だけはあんまり納得いかないんですよね、上手くなくても楽しめるっていうのはそれはそれでまた才能なのかもしれません(皮肉ではなく)。

 本題に入るんですが、じゃあ「上手くなる」ってどういうことなんですかねってなった時、大事なのは、僕は「(地力の)上達速度」だと思うんですよね。「自分皆伝です!!」って言われたら音ゲーが上手いねぇ!ってなるけど、本当の問題はその皆伝にどれだけの時間を要したかなんですよね。今は10段の人でも、その10段に要した時間が3ヶ月なら、多分あと半年足らずで皆伝になるだろうなぁって、上からになっちゃうけど見込みがあるんですよね。自分の今までのプレーとか成長とかを振り返って、自分には「見込み」がある!って自信をもって言えるのかどうかが「上手い」かどうかの重要な要素だと思ってます。ここら辺のことを多くの人は「センス」って言ってる気がするんですけど、深く考えずにこれをまとめて「先天的な才能」として扱っちゃうのは、これこそナンセンスなんじゃないかと、Twitterなどを見てていつも思います。

 ここまで結構当たり前の話をしてきたつもりなんですけど、音ゲーだと結構見落とされがちのような気がするのは、多分音ゲーの醍醐味でもある"リザルト"のせいだと思います。勉強とか運動と違って、音ゲーは自分のプレーが2〜3分単位で、それなりに正確に、しかも何回も評価されるんですよね。だから、「リザルト=実力」という方程式が出来上がってしまう。これは間違ってはないけど、考えがこの方程式に偏りすぎるとさっき言った「上達速度」が見落とされちゃうんですよね。「上手くなること」と「上手いリザルトを出すこと」は全然違って、というか順序があって、「上手くなったから上手いリザルトがでる」んですよね。「上手い」のあとに「リザルト」があるわけで、じゃあ100回やって無理やり出したリザルトに上手さは伴っているのかと、、同じ曲を100回やるより、いろんな曲を100曲やった方が結局近道なんですよね。常に上手くなることを考えてないと、上手くなることに迷子になっちゃうのかなと。

 音ゲーはたかだかゲームだけど、本気で上手くなるならスポーツ同様に(音ゲーもスポーツなので当然だが)真剣に毎日取り組んで、誰よりも考えていくストイックさが必須だと、少なくとも僕より上達が早い人は僕の何倍も考えてプレーしてます。考え方がわからない時こそ人に聞くんですよね。「この曲ができない」っていうのは「この曲ができるようになりたい」ってことで、でも真に聞くべきは「この曲ができるようになるためには何をすれば良いか」です。自分の「できない」をどんどん深く掘って、「できる」の本質に辿り着いた人だけがまた1つ上手くなれるんだと思います。「なんかできた」はもしかしたらいつも続くものではないのかもしれないなぁと、自戒の意味も込めての最後の段落でした。

 締まりのない文章でしたけど、僕もまだまだ未熟なのでこれは今までの僕にとってのセオリーみたいなもんとして、ああこういう考え方もあるんだなぁくらいに思ってくれれば幸いです。上手くなることばかり考えて楽しむのを忘れるのは本末転倒なので、楽しむことが前提にあるということも付け加えさせてください。もちろん、僕より上手い人は多分僕より優れた上達観をもっていて、それはおいおい知っていければなと思ってます。以上、お付き合いありがとうございました。